「今日は珍しいネズミが入って来たわね」
紅茶を片手に読書に勤しみながら、図書館の主であるパチュリーがそう呟く。
今日の紅茶はアールグレイ。不幸せな彼女に幸せを運んできてくれるのだろうか?
脱線したがこのヴワル図書館は、悪魔が住む屋敷として名高い紅魔館の内部にある施設である。
紅魔館と言う強固な守りの中に存在するが故に施設に侵入できる者は幻想郷中で数えられる程度だろう。
つまり危険地帯の中心と表現するのが良いだろう。この図書館に侵入する人物と言えばやはり限られているが
どうやら彼女の口ぶりから想像するに今回は定番の白黒鼠では無いらしい。
と言うのももし侵入者が白黒であった場合には、今頃紅魔館にはマスタースパークの余波による地響きが起きている筈だからだろう。
なら誰なのだろうか? 人形師? 巫女? 年増? あるいは……。
本を捲る手を止め紅茶を受け皿に置くとたった今図書館に侵入したその人物をちらりと眺める。
其処にいた侵入者は藍色の服と朱色の飾り羽……朱鷺の本読み妖怪であった。
少しも驚くような素振りを見せない変わらぬ表情と視線がその侵入者を一瞥し、その手は紅茶入りのカップに伸ばされた。
そういえばと、近頃紅魔館の周辺を夜雀やうずらと共に飛び回ったり門番と何やら話事をしているとパチュリーは聞いていて知っていた。
そして何やら最近は仲良く遊んだりとか読書したり、友達と言える間柄になっていると子悪魔づてに耳に挟んでいたのである。
蛇足だが最近夜雀の屋台のレパートリーに中華料理が増えたのもきっと門番が教えたからだろう。中国だし。
(件の本読み妖怪? 盗みにでも来たのかしら)
件の白黒が淡い恋心と魔道書を頻繁に盗んで行く為に、彼女自身の客人に対する印象は良いとは言えないものだが。
今回の珍しい進入者が門番の話し相手と言うのに少々興味が沸いたのだろう、本を閉じて椅子から立ち上がり相手の様子を伺うように視線を向ける。
「うわっ、何ココ。 カビ臭いし埃が凄いじゃない」
わたわたと何かを避けるような素振りを見せる朱鷺の子、それに少々苛立ちに似た何かを覚えつつもあくまで紳士的に…、
まぁ件の人形師の事もあってだが初対面の相手の怒りを買うことの無い様に言葉を返す事に意識しながら語り掛ける。
「ヴワル図書館にようこそ。歓迎はしないけど其処は勘弁して、何か用事でもあるのかしら」
「ちょっとアンタ、図書館の主だったらしっかり換気ぐらいしなさい! 本が傷むじゃない!」
何なんだこの鳥頭は。 苛立ちから怒りに感情がシフトするもそこは貫禄がある年齢に達する魔女、
その感情を押し殺してあくまで紳士的に……(あ、この言葉使うの二回目だ。
「この季候の場所に立つ洋館なんてそんな物よ。それで何か――」
「それになんでこんなに真っ暗なのよ! 目に悪いし鳥目の私に何か恨みでもっ――」
無理でした。 強力な風圧で吹き飛ばされた朱鷺の子は丁度適度な位置にあった史書用の棚に頭を打ってもんどりうつ様に転げまわっていて実に痛そうだ。
解らないでもないが、会話が成立しない時程知識人にとっても一般人にとっても苛立つ事は他に無いだろう。
挙句に初対面で色々駄目出しされたのであっては温厚で居られる事は殆ど無い。
……これだから幻想郷の女性は皆喧嘩っ早くて温厚もクソも無い気もするが其処は今回の論点ではないので――
「ぴーちくぱーちく五月蝿いわね。図書館では静かにしなさいと親に教わらなかったのかしら」
「うぐぐぅ……あんたは…親に直ぐ…力で解決しよう…する…なと…言われなかったのかしらっ!」
打った箇所を押さえながら立ち上がる彼女の目に涙が浮かぶ。
マンガなら確実にたんこぶなる物があたまに生えているのは間違いないでしょうと勝手に想像して笑いがこみ上げてきたがそれらは一切表情に影響する事は無かった。
しかしなんでたんこぶをあんなに大きく描写する必要があるのか非常に気になる。やはりインパクト…?
「たんこぶの描写なんて事は如何でもいいじゃないの! 大体何処の魔法使いもアンタみたいにガサツなのかしら」
「あら、口に出てたのね。 安心しなさい私はガサツさで言えば普通くらいの魔女だから」
人形遣いが清楚と言うかひ弱と言うか…品がありすぎるだけなのだが。確かに魔理沙よりは幾分かはマシだと思う気がしないでもないような無い。
まぁそんな事は如何でもいいかと二度三度少女に目線を向けると気だるげに頬杖を着き、片手をもてあましているように意味も無くバシバシと机を叩く。
「とりあえず今そんな事は如何でもいいの。とにかく換気しなさい、カーテン開けなさい、門番の待遇を改善しなさい、本を見せなさい」
「幾つか私利私欲が見られるような要求があったのはきっと気の所為じゃないのでしょうね…。用件はそれだけかしら」
「それ以上図書館で要求する事が他にあるの?」
「いや、4分の3程は図書館で要求する事じゃ無いでしょ」
不思議と敵意や悪意がある訳ではない事は十分伝わって来た様で、やはり何処と無く子悪魔と一緒に居るようなゆったりした気分となる。
本読み仲間みたいな意識なのだろうか? まぁ今判断する事でも無いが少なくとも害がある存在では無いみたいだしとゆっくり歩き出す。
彼女の後ろにある史書用の棚の引き戸から、また一つカードの様な物を引き出して彼女に手渡すと幾つかの催促を行なう。
「まぁ本を読む事に関しては貸し出し期限とか簡単なマナーを守ってくれれば貸し出してあげなくても良いけれど、他の三つは私では恐らく如何にも出来ないわよ」
「本読み妖怪は嘘をつかないし約束は守るものよ、まぁ今作った勝手な解釈だけれど」
「勝手ね」
「勝手よ。それで何で無理なのかしら」
「だって私は図書館の主だけれどこの館自体の主じゃないもの」
「それでもカーテンを開けたり……って何で窓もカーテンすらも無いの!?」
「当たり前じゃない。普通は自分の屋敷に自分の弱点をわざわざ迎え入れるような事をする訳無いわ」
苦笑いしながら、とは言っても余り表情の変化が見受けられなかったが嫌味に思いつつ
パチュリーはそのまま元居た席にゆっくりと腰掛け、やや冷めた紅茶を一口不味いと思いつつ呑み込んだ。
仕方が無いと言えば仕方が無いだろう、この館の主は吸血鬼であるレミリア・スカーレット。
吸血鬼であると言えばどんな短絡的な思考の持ち主でも一つくらいは知られている弱点が大量に存在する。
直射日光とか流水とか炒った豆等が挙げられるだろうか。吸血鬼とは書くも不便な生き物である。
何処かの正義主義の宗教の下十字架に弱いだの聖なる光に弱いだの聖水だの勝手な事ほざかれた挙句に、
流水を渡れなかったり噛まれたら吸血鬼か眷属になるだのどこぞの病気の様な扱いをされ続けた吸血鬼に明日はあるのだろうか。
それはおいおい、わざわざ直射日光を取り入れるような事など無いので結局日の光を防ぐために窓が設計されてすら居なかった。
日本と言う高温多湿な季候に湿気が溜まり易い洋館。避けたい悪条件が最悪な事に直射日光を避けた為に助長されてしまったのだろう。
「だからってこのカビ臭さは無い…気持ち悪い」
「あら。慣れるといい感じよ? このジメジメも」
「本がパサパサになるしそれだから周りに紫モヤシやら引きこもりキノコと――」
学習しない鳥頭であった。
再び史書用の件の角に頭を強打した少女は今度はしっかり気絶した様でぐったりとして動かなくなった。
ざんねん ときこのぼうけんは ここでおわってしまった 。 第三部完。
「勝手に殺すな!」
「じゃあ止めを刺そうかしら?」
「ひぃ!?」
「まぁ冗談よ。ジョークジョーク、アメリカンジョークよ」
「アメリカに謝れ。何処がジョークなのよ」
「まぁそれは置いといて、本が傷む程度に湿気が酷くなったら魔法で乾燥させてるし埃も咲夜がさっさと取ってくれるから大丈夫よ」
「あー、あの偉そうな貧乳? もしそうだったら今度会ったときでも良いから門番に対するツンデレも大概にしろって伝えてくれないかしら」
「最もだと思うから善処するわ、それとさっきも言った様に期日までに本は返して図書館でのマナーを守れば大概追い返すことも無いから其れだけは覚えておいて」
「鳥頭じゃないから良く覚えて置く。じゃあ早速見せてもらうわ」
と言うと朱鷺の子はそそくさと本棚が並んでいる方へと飛んで行った。
見送った魔女は振り返り先程から入り口でそわそわしている影を呼ぶように手を振る。
見覚えのあるブレザーを着た紅い髪の悪魔、子悪魔がススーっと音も無く史書用の棚の横に現れていた。
どうやら話の内容の大半を聞いていたらしく妙な笑顔を浮べながら棚を魔法で修復し、顧客リストに朱鷺の本読み妖怪と書き込んだ。
一体この子は何時から盗み聞きなんて事をするようになったのかしらと肩を撫で下ろす様に溜息を吐き、目線を戻す。
「これで彼女に罠が作動する事はありませんね」
「そうね、ご苦労様」
顧客リストから不思議な光が一瞬放たれるとその光は先程朱鷺の子が飛んで行った方へ追う様に消えていくのを確認すると再び本に目を下ろした。
そして一口紅茶を・・・と、完全にヌルくなった紅茶を強引に飲み干しおかわりを要求しつつ魔女が言う。
久しぶりの客人で少々気分が変わったのか何処か表情が緩ませながら。
「それにしてもまともで常識が通じる顧客と言うのは嬉しい物ね」
「そうですね。マナーを守ってくれる方と言ったら後はアリスさん位でしょうし…」
「あの白黒に爪の垢を煎じて漬け込んでしまいたい位だわ」
「それ程大量に爪の垢は取れないと思いますよ」
あはは…と苦笑いをする子悪魔が何時の間にか淹れていた紅茶のお代わりをポットからカップに注ぐと、
目もくれずぐぃっと飲み干す。あつつ、と小声で呟き涙目にながら再び本を読み始める。
「やっぱり良いですよね」
「何が?」
「本を愛すると言うのは言いすぎですが、大事にしてくれる方が居るって実感すると何故か悪い気分にはなりませんね」
「…そうね」
本から一切目線を離さずに答えるパチュリーを見据えながら子悪魔が言う。
図書館の主から見てもマナー良く本を扱ってくれると言うのは中々気分が良いものだろう。
今までが今まででマナーどころじゃない客が一人居た分そのありがたみも手に余すことなく感じられたのだろう。
その日一日は彼女の珍しい表情が図書館で見られたのであったそうな。
「あのー、パチュリー様。良い感じにまとめてる最中に悪いのですが2つ程問題が…」
些か閉めの空気の読めない子が…、まぁ些かオチが弱いと思っていた所で有難いのかも知れないが。
なにやらおずおずと気不味そうにしている子悪魔に体を向け、何? とだけ返すとやはりばつが悪そうな顔で続けた。
「あの朱鷺の子なんですが本読み妖怪でしたよね? 件の騒動みたいな事になったりするのでは?」
「大丈夫よ。あの嫌なのとは違って本を駄目にする事も盗む事も無いし本に礼節を置く種族だから粗相なんてしないでしょう」
「…? でしたら本読み妖怪は何の為に本を読むのでしょうか?」
「さぁ? まぁ、本読み妖怪は本であれば何でも満足するわ。それこそただの辞書でもね」
辞書を読み笑みを浮かべる少女…。
傍から見るとただ奇特なだけではなくイヤらしくも感じて実に危なそうである。
「しかも鳥頭で記憶力が曖昧だから一度読んだ本でも忘れてもう一度読むなんてのはザラね。こっそり同じ本でも仕込めば禁書を読んで騒動起こすなんて事は無くなる筈」
「はぁ…そうですか…。所で」
「さっきから何なの? まだ何かあるのかしら?」
「美鈴さんの待遇改善についてなんですけど、彼女……」
「あ……」
「…………」
「「……………………」」
図書館に何やら不穏な空気が流れ込んだかと思うと続くのが魔女の沈黙。
名前が出された少女はきっとロクでもない目に合わされるのだろう、
魔女と悪魔の表情が惨劇のような物を見た後の様に青冷めている。
先に起こる惨劇を理解し、それを回避する事が出来ないと知ったその表情は非常に冷たい物へと変わって居た。
その沈黙はただただ、重くて長かった。
「……ええ、門番の冥福を祈りましょう。あ、祈る必要無いわね。魔女も悪魔も神様なんて信じないから」
「ええっとー、…………なーむーです」
夜にも珍しい悪魔が念仏を唱えている光景を見やりつつ、現実から逃げるように本を貪り読む魔女が一人。
と、取りあえず今日も紅魔館は平和そのものであった。うん、きっと、多分そうなんだと思う。
……結局朱鷺の子が図書館に訪れた理由の一つである門番の待遇改善は鳥頭な彼女が忘れてしまった為、
待遇の件が無かった物とされた挙句私利私欲のために侵入者を通したとして咲夜氏にお仕置されたらしい。
今日も人の知らぬ間に加速する美鈴の不幸人生、
彼女の明日はあっちだ。
「さ、咲夜さんその大量の物体は何なのでしょうか…?」
「私利私欲の為に侵入者を通した門番にお仕置に来たのよ。見て解らないのかしら」
「えーっとですから、それらは一体何なのでしょうか?」
「うふふ、驚きなさい。最近ある所に頼んで作ってもらったある物が今さっき届いたのよ。貴方がシエスタをしている間にね」
「へ、へぇ…そうなんですか。それでその物体はまさか…」
「勿論届いたばかりの無能部下お仕置機ボンバー君シリーズよ。ボンバー君たちによる虹色の幾学迷彩的な模様が綺麗でしょう?」
「はぁ…。まさか…そのまさかそれを私に?」
ソウダヨ? デスヨネー☆
「ねぇ美鈴。どれを使って欲しいのかしら? 無能部下アゴ砕き機? 焦がし機? それとも肩砕き機?」
「ひ…一思いに焦がし機で!」
「No!No!No!」
「じゃあ肩砕き機で!」
「No!No!No!」
「もしかして両方ですかぁ!?」
「No!No!No!」
「も…しかしてボンバー君シリーズ総動員ですかぁーッ!?」
「Yes!Yes!Yes! Oh my God!」
遠くで聞こえる鳥達のさえずりに木霊する断続的な悲鳴。
今日の紅魔館は何時にも増して平和であった。
本体名 紅 美鈴 咲夜に拷問されて再起不能
能力名 気を使う程度の能力 後日永遠亭へと運ばれた
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