「退屈ね」
竹林の奥深くに存在する永遠亭。
その広大な敷地を誇る館の庭で少女が言葉通り退屈そうに言った。
今目の前で黄昏ている姫君蓬莱山輝夜は思い付きで行動をする。それは永遠亭では周知の事実であった。
その度に彼女の従者、八意永琳は右往左往する羽目となるので日頃から気苦労が絶えない事から、
もし不死人でなければ既に過去の人物となっている事だろう。それで無くとも不死人でなければ老衰で死んでいただろうが。
実際には殆ど弟子任せでそれ程気苦労しているようにも見えないと評判なばかりか、
精神的に虚弱過ぎだとか永遠に生きると精神攻撃に弱くなるとかはてまたもしかしてあれは持ちネタではないかとうたわれる始末。
最終的に弟子の方が病気になっていないかどうかの方が心配だ、従者兎たちによる議会では専らその手の議題になるとその結論に達することが多かった。
従者達が永琳よりも鈴仙を専ら心配している事は彼女は知る事が無いだろう。またその事を弟子も知ってはいない。
脱線した、話を戻そう。
つまりは姫である輝夜が退屈と呟くなら一騒動起こると前評判なのである。
またその評判は正しいのでまた達が悪く、その様子を見た永琳は先に訪れる災厄を想像して頭を抱える始末。
弟子も胃潰瘍までの素敵な階段を華麗なステップを踏む事になるだろう。
輝夜の思いつきという救われない現実が其処には存在していた。
もしこの後に姫が閃いたような素振りで両手を合わしたのなら、
そしてうきうきとした様子で部屋に向かったのならば、
そのまましばらく部屋の中に入るなと兎に命じたらば、
コーラを飲んだらゲップが出るのと同じくらいの確率で竹林は大騒動に巻き込まれるだろう。
神様、出来る事ならば姫様の思い付きを止めてくださいと願うばかりの従者達であったが、
残念ながら従者達のその前置きの音が静かに鳴り響く事となった。
その瞬間を境に従者達は
(もう神様なんて信じねぇ!)
と、神を信仰する習慣を捨て去ると心に決めたのは余談だろう。
先ず一番最初に動いたのはその側近の兎であった。
即座に輝夜に対しておやつになさいますか? と誤魔化そうと問うが、
「お腹は一杯よ、何処かの亡霊じゃあるまいし」
即座に却下され第一防衛ラインは脆くも突破されてしまう。
次に動いたのは詐欺に定評のある白兎であったが、彼女は止めるどころか輝夜とは反対方向へと姿を消した。逃げたのだろう。
「言われなくともスタコラサッサだぜぇ!」
と言う台詞が聞こえたような気もしたがきっと空耳。
幻聴が聞こえる程の逃げっぷりである。
永遠亭お遊戯部隊が駆け付けて姫を遊びに誘うも、
「今はそんな気分じゃないの」
と案の定却下されていた。
そもそも興味をそそる物を見つけた赤ん坊の前で人形を振りかざしてもそちらに興味が移る事などまったく皆無であろう。
近くにでもお遊戯部隊は解散する事になるはずだ。
そうしている間にも輝夜フェイズはらんらんとスキップを踏みつつ部屋に向かう最悪の段階にまで進んでいる。
このままでは不味い。即座に事態を把握した八意永琳がその嬉々とする姫を止めに勇敢にも立ちはだかるが、
「ちょっとお散歩行って来るわね」
懸命に立ちはだかる従者に向けて告げられた台詞は月の頭脳の思惑を完全に外す結果と相成った。
つまり……事は全て杞憂に終わったらしい。
今までのあの慌しい空気とは一転して永遠亭に再び平穏が戻って来た瞬間である。
従者達はその瞬間を境に
(神様酷い事言ってごめん!ありがとう!)
再び神を信仰する習慣をもっと取り入れようと心に決めたがそれはよれは余談らしい。
同時にガンキャノ子さんとアー・ウーなる人物がくしゃみをしたのかどうかは不明。
月の使者に怯え半ば強制的な引きこもりと化した姫君にとって外へ出向く事は非常に楽しみな事であった。
外の緑一色の景色を堪能しつつ、邪魔な羽虫を打ち落として目的地へと寄り道しながら向かって行く。
そんな台風の目が向かう方角は魔法の森や神社のある方向。
柔らかい日差しを浴びつつ箱入りの姫君が降り立ったのは古ぼけた道具屋で掲げられた看板にはには香霖堂と記されていた。
何故か壊れて外れている戸を横目で眺めつつ閑古鳥が鳴く店内に足を踏み込む。
カウンターの向こう側には、色々映えない銀髪の冴えない青年の姿があった。
銀髪で眼鏡を着用している無愛想な青年は先程からじっと手元の何かを見ているようだが、
生憎輝夜の身長ではカウンターの向こうで行なわれている事を覗く事は出来なかった。
じっとみつめて言葉を待ったが反応は返って来ず、呆れるように尋ねかける。
「ちょっと、お客様の対して挨拶も無いのかしら」
恐らくは本を熟読していたので気付かなかったのだろうが、お客様に対してそれではいけないと思う。
それに気付いた霖之助は見上げて輝夜に視線を向けると些か笑顔を踏まえて挨拶をする。
「やぁ、いらっしゃいませ」
見せるは苦笑に近いその表情。
それを見て輝夜は胡散臭さ30%の笑みを深めると店内を見回しつつ椅子に座り込んだ。
彼女が商品である椅子に座り込むのを見て霖之助はムっと眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに少々乱暴気味に本棚に本を戻した。
店内には様々な食品、鉄くず、箱、書物がたいそうな量置かれていたが、それらは輝夜の興味を引くことは無かった。
それもその筈、基本的に香霖堂では店頭に主力商品は黒白鼠に盗られてしまうので置いていないのだ。
しかしそれを知らない姫はといえばこの店に対して少々の不信感を募らせたのであった。
「その椅子は商品だから座らないでくれないか」
「あら、お客さんに対してそんな口ぶりで居たら売れるものも売れないわよ」
「別に売れなくてもいい。肝心なのは生きて行ける程度に稼げるか如何かだよ」
「商売人としてそれは如何なのかしら」
「商売人である以前に僕は蒐集家だからね。商品が売れるか如何かなんて些細な事だよ」
「商売人失格に対して否定もしないのね」
くすりと笑うと店主は居心地が悪いように顔をしかめて溜息を付く。
それを見てまた笑う、ちょっとした悪循環が発生したがそれは即座に中断された。
「そういえば君はお客さんだったね。何か買って行ってくれるのかい?」
「いちいち客と確認しないといけない程来客が無いのね、同情するわ」
「安い同情をどうも有難う姫君」
「如何致しまして」
「それで何を御入用かな?」
「何を御入用かしらね」
「……からかっているのかい」
「さぁ如何かしらね?」
「もうウチには冷やかしで手一杯だからこれ以上冷やかすのが増えると困るよ」
「あら、誰が冷やかしに来たなんて言ったのかしら」
「……じゃあ何か買ってくれるのかい」
「じゃあそうねぇ…。あっ!アレがいいわね~。」
アレと言われて閃く物が無かったのか霖之助は頭の上に巨大なはてなマークを出現させて輝夜に差し向けると、
輝夜はそんな店主を見て悪戯の様な笑顔を差し向け返した。
「だ・か・ら、アレよア~レ」
「君は常連では無いからそういう暗号みたいな事を言われても出せる商品は無いよ」
「そういうのじゃ無いわよ。とにかくアレを持って来てくれないかしら?」
存外に意地の悪いものだと悪態を付きつつ店主が倉庫の扉へと姿を消したのを見届ける。
カウンターに手と肘を着き、子供の様なあどけなさで霖之助が姿を消した扉をただじぃっと見つめていた。
意地の悪い注文、つまりは難題を出して霖之助の反応を見る心算なのだろう。
心底意地の悪い姫は不敵な笑みを浮かべながら霖之助が持って来る者を今か今かと待ち構えていた。
一方倉庫に入り、霖之助は思考を巡らす様に顎に手をやる。
アレとは一体何なのかを。そして彼女は何が来る事を願っているのかを。
アレと基本的に客が商売人に使う時は大概意思疎通が容易に取れるほど親密な間柄の者に限るのだが、
大概のうちのイレギュラーとやらに付け込まれたらしい。意地の悪い事だ。
詰まる話何を彼女の前に持って行けば良いのか、無茶な注文は困るという物だ。
以前吹雪の夜に会った時まで記憶を遡り、考えてみたのだが思い当たる話は無かった筈。
その事実が逆に霖之助を混沌の極みに引き寄せる事となった。
一旦その考えを、つまり購買を知らせずに予約しているという考えを打ち消し振出から様々な事を考えてみると思い当たる節があった。
客がアレと称すのは伝わって欲しいと商売人に願う具象だと何処かの書物に書かれていたのを思い出すが、結局それが解らない。振り出しに戻る
ならば思考を逆転しようと、客が欲しいと思う物では無くて霖之助から見て彼女に似合う物が何かを考え始めるとピンと閃きが来る。
こんな難題を出す彼女に似合う物と言えば…。
そう考えて霖之助は倉庫の奥深くへと歩を進めて行く。
そして非売品関係を纏めて置いてある場所にて霖之助はそれらを見つけて、
これを彼女に魅せしめて反応を見てやろうと彼もまた不敵な笑みを浮かべていた。
霖之助が店に戻り彼女を見ると、ずっと扉を見ていたを彼女と目が合う。
そして彼女は目線を下げ、霖之助が手荷物それを見て目を大きくした。
霖之助の手にはしっかりと輝夜が所望する品がすっぽりと納まっていたのだ。
彼女が目を丸くしているのを見て内心高揚感に駆られるが霖之助は顔に出さずに我慢していた。
「君が欲しいアレと言うのはこれじゃないのかな」
カウンターに置くと、木の枝らしきものがはみ出ている包みを開いて見せた。
そこにはミニチュアサイズの確たる物が存在していた。
幾つか現物がある中これを見せたのは些細な仕返しなのだろう。
「これは模造品だけれど本物の幾つかは家に置いてあるよ」
「……」
輝夜の目の前に置かれた物は求婚してきた貴族達に出した5つの難題。
霖之助は模造品と称したが、それらは小さいだけで輝夜本人が幾つか所有している本物とは然程変わりは無かった。
御石の仏の鉢、火鼠の衣、蓬莱の弾の枝、竜の顎の五色玉、燕の子安貝。
「模造品すらあの人たちでは集める事は出来なかったのに…」
「一応これらは正式な模造品とか言う矛盾した物だよ。満足して頂けないかな」
「……本物もあるって言ってたわよね」
「御石の仏の鉢と火鼠の衣、燕の子安貝は確かにうちに置いてあるよ。見るかい?」
いいわと区切るように言う輝夜を霖之助は驚いたように見つめた。
輝夜は興奮しているような様子でまじまじとそれらを見つめて溜息を付いている。
きっと輝夜自身難題の方の答えを持ってくるとはよほど考えては居なかったのだろう。
第一に蓬莱の玉の枝以外に難題が存在していたのかとまで、彼女の頭を遮ったのである。
そんな胸中の邪魔をするのも悪いと霖之助は先程まで読んで居た本を手に取り、再び本を読み始める。
彼女が難題の模造回答に執心している間、気付かないうちに数刻流れた様で空は朱に染まっていた。
「ねぇ、店主」
「ん? なんだい?」
「今後贔屓になるわ」
「そうかい、常連は多くて悪い事は無いからどうぞご贔屓に」
無愛想に短く答える。
何も買おうともしない常連よりはマシだという心算だろう。霖之助はそれを了承した。
しかしどうも輝夜自身の心算には気が回らなかった様だ。
外ではただただ、夕日が幻想郷を赤く染めるばかりである。
「急に仕度は出来ないから、今日はもう帰るわね」
「またのご来店待っているよ。今度は買って行ってくれると嬉しいよ」
しばらく彼女は返事をしなかったが、外に出て一息つくとこちらを振り返り、
「…考えておくわ」
一言。顔を伏せながらポツリと呟いたのであった。彼女の言葉は霖之助に届くことは無い。
夕焼けの所為だろうか、永遠を生きる彼女の顔は朱を帯びているようにも見て取れたが、
やはり気の所為だろうと平然と彼女を見送り、カウンターの向こうの最早定位置と化した椅子に座り込む。
そして霖之助は本物の輝夜姫に本物を魅せしめた事を一人、ある種の蒐集家として純粋に喜んでいる。
祝い酒を振舞わんとする彼の表情は何処か子供らしく見えたのは気の所為ではないだろう。
後日から、頻繁に訪れるお金を持たぬお客様に手を焼く事になるのをまだ霖之助は知らない。
日も暮れ、竹林に闇が訪れる。
真闇の妖怪が来た訳ではないが、竹林はこれでもかと言う程に暗かった。
何時もと変わりの無い事という物の待ち人をするその従者にとって、暗闇は少々姫の安否を心配させる物であった。
永遠亭の入り口で八意永琳は、今か今かと姫の帰りを待ち侘びている。
例え不死であってもこの幻想郷ではそれを凌駕する者が多数居る為、姫の帰りが遅くなる事に心配を抱いたのだろう。
その待っている姿は何処かおどおどしかった。
「たっだいま~」
何処か陽気な声を聞いて永琳は慌てて顔を上げる。
其処には無事に、無傷で帰って来た自分の主が存在していた。
「お帰りなさいませ姫様」
先程までの態度とは一転してクールに受け答える従者。
案外心配性であっても流石にそれを回りに見せるほど愚かでも無い様だ。
「さて、それでは早速ご飯になさいましょうか。今日は姫の好きな竹の子ご飯ですよ」
「あらいいわね。あっと、ちょっと永琳いいかしら?」
「はい? 何でしょうか姫様」
「ちょっと難題解かれた挙句にプロポーズされちゃった」
えへ、と可愛げのある表情で輝夜は可愛く言った。
まるでちょっとコンビニ行って来るわという軽いノリで爆弾発言を言い残すとそそくさと食堂へと向かう。
隣で口をあんぐりと開けて呆然して心臓ごと硬直している永琳を弟子が発見。
本日最後の急患はどうやら不養生の医者自身と言う皮肉な一日であった。
まぁ、後日従者が香霖堂を襲撃するのは周知の運命的な物な訳で……。